会長の一言

「レトロな職場」

こんにちは、社長の川嶋です。
先日、レッツのデザインを担当してくれているデザインスタジオ
Knox(ノックス)に寄ってきました。
社長は私の高校時代の同級生で、今でもナカジマ、カワシマと
お互い呼び捨ての仲です。
その事務所のドアが半開きになっていて、入ろうとしたら床が何
かの箱で塞がれています。
その箱をまたいで入ろうとしたら、
なんと、かわいいワンちゃんが・・・
歩き回り、寄ってきて、じっと私を見つめます。
愛犬の具合が悪いので、職場に連れてきて一緒に仕事をしてい
るんだそうです。
電話中にワンワン吠えたらどうなるんでしょうね?
ワンちゃんを抱いたゴリラマンの写真を記念に撮ってきました。
事務所が散らかっていて、ワンちゃんがいても違和感を感じま
せん。奥にいるのはスタッフの結城さんです。
ノックス風景.JPG
きっと、デザイナーというユニークな人たちは混沌の中から新た
な発想を生み出すのでしょう。
実にレトロで人間的な雰囲気だな〜と、妙な感慨を覚えました。

「海辺の生き物」

こんにちは、社長の川嶋です。
すべての生命は海から産まれ、海に帰って行くのでしょうか。
こんなことを感じた今日の午後でした。
私は股関節が悪いので、固まらないように時々プールに行って
運動をしています。
そのプールには、いつも60歳以上とおぼしきおばちゃんたちが
満ちあふれ、プールサイドやジャグジー、サウナでは日々笑い
声が絶えません。
曜日によって様々な水泳教室があり、おばちゃんたちは若いイ
ンストラクターのかけ声に合わせ、水しぶき、天井まで跳ねよ
とバタバタ頑張っています。
そんな光景をを見慣れている私でしたが、今日ははじめての光
景に出会い新鮮な驚きを感じました。
それはおばちゃんたちが一列になって、プールサイドにうつぶ
せに半身をのりあげ、プールの上で足をバタバタさせる練習風
景でした。
ウェットスーツのような黒い水着の方々がほとんどなので、申
し訳ありませんが私はアザ○○が氷山でひなたぼっこをする光
景を思い切り連想してしまったのです。
暑い夏を乗り切り、冬に向けて過剰とも思える栄養を貯えたた
くましきおばちゃんたちを見て、生命のたくましさを感じつつ、
私たちの先祖は間違いなく「海辺の生き物」だったに違いない
と確信した午後でした。

「高野聖」

こんにちは、社長の川嶋です。
昨日は病院で父の検査に付き添いました。
朝から昼まで3時間以上も待たされたのでi-phoneで本読みをし
ていました。
読んだのは泉鏡花の「高野聖(こうやひじり)」です。
何度も読んでますが、とてもおもしろく情景が活き活きと想像で
きる中編です。
明治の頃、筆者が、とある旅籠で同宿した旅僧から、彼が若い
頃の修業時代に経験した怪異かつ妖艶な話を聞くという設定です。
奥飛騨の旧い山道に入ってしまった僧が、蛇やひるに悩まされて
たどりついた山奥の一軒家、そこには上品であでやかな女性と白
痴の若い男、手伝いの親爺の3人が住んでいました。
一夜の宿を借りた僧が経験した奇怪かつ妖艶な出来事とは?
私はよく、この魔性の女性を演じられる女優はだれだろうかと考
えて映画やドラマを見ていることがありました。
一番の候補は歌手の藤あや子さんだと思っています。
あの流し目の妖しさ、結婚した男性が二人も亡くなるという不幸
に耐えたたくましさなど、イメージが重なります。
そのほか、宮城県出身の鈴木京香さんや、同じく宮城県涌谷町
出身の若松孝二監督「キャタピラー」で主演をつとめた寺島しの
ぶさんも合うかなと思います。
ぜひ、だれか映画にしてくれたらいいのにと思いますが、小説の
イメージが壊れるのも心配ではあります。

「パソコンのない時代」

こんにちは、社長の川嶋です。
ある会社の社長さんから、かつてこんな話を聞きました。
その方は40代前半です。
「あるときパソコンが壊れたんですよ。
それで修理の間一週間パソコンなしで仕事をしたんです。
そうしたら、机の前に座って何をしたらいいかわからなく呆然とし
てしまったんです。」
今やほとんどの会社で、だれもがパソコンを操作しています。
おかげでソフト屋の私たちも何とか暮らしていけますのでありが
たいことではあります。
でも、ふと思うことがあります。
若い頃、パソコンのない職場でどんなふうに仕事をしていたっけ?
思い出すと、職場では上司や同僚とよく喋りあっていたものです。
それは無駄話ではなく、お互い喋りあわないと仕事ができなかった
からでした。
おかげで、仕事やら生活やらあらゆることを話し合う機会が生まれ
ました。
今思い返せばあの頃は、職場で人とのつきあいを通して様々なこ
とを学んだ時代でした。
今や、画面を見る顔は無表情、目やら肩やらみな弱り、挙げ句の
果てに漢字やら暗算やらの能力は極度に劣化・・・
あのすばらしい日々をもう一度♪♪
こんなことを言うと、自分の仕事を卑下しているのかと叱られそう
ですが、そうではないのです。
まだまだパソコンやソフトは原始的、もっと人間性に合わせた仕
様を工夫しなくては、という自省の意味をこめています。
そして、失われつつあるコミュニケーションをパソコンを使った新
たな方法で回復しなくては、と思うのです。
今ではスカイプなどを使って、顔と顔を見せて話したりできますし、
ipadのような使い勝手の良い製品も出てきました。
技術的な問題は多々ありますが、どれが人間が使うにふさわし
い道具かという問いかけを忘れずに、日々改良していくことが私
たちIT関連業者のモラル、すなわち「IT道」だと思います。

「青空文庫」

こんにちは、社長の川嶋です。
昨年の末からi-phoneを使うようになりました。
そのとき勧めてくれた友人は私にこう言いました。
「きっと感性が変わるよ」
8ヶ月を過ぎた現在、確かにそうだなと感じています。
数ある影響の中で一番のものは、読書の楽しみが増えたことです。
「青空文庫」というネット上にある無料の図書館を自由自在に利用
できるのです。
しかも夜、電灯をつけなくても読めるのです。
今は関係ないですが冬になるとこれがとてもいい。
というのは寒い夜、布団にもぐって本を読めるからです。
それに文字フォントやサイズを自分に合わせて自由に変えられるのも
年配者にとってはとても重宝です。
さて、青空文庫には著作権が切れた作品だけがアップされています。
これはつまり古典だけがアップされているということです。
ですから、本屋には置いていないもの、置いてあってもまず買わな
いような本を読む機会が自然と生じるのです。
やはり古典といわれるもの、特に明治から昭和初期の文学はあらた
めてその質の高さに感動してしまいます。
私の最近のお勧めは樋口一葉「おおつごもり」
二十歳そこそこの姉ちゃんが、こんな泣かせる短編書けるなんて・・
坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」「風と光と二十歳の私と」
彼は、無頼派ではなく純粋派といったほうが合うように思います。
坂口安吾の恋人だった矢田津世子の「茶粥の記」
平凡な情景の中にこまやかな愛情が感じられ、実際の本も含めて、
かれこれ3-4回読んでいます。
これらはみな短編です。
他にもたくさんあって紹介しきれません。
またいつかの機会に。

「私の自転車」

こんにちは、社長の川嶋です。
昨日の日曜日も宮城は35度くらいの猛暑でした。
こんなときに自転車で会社に行こうとするなんて、私も変なおじさんです。
私の住む涌谷町から会社のある大崎市古川までは、途中私の生まれ故郷
である美里町小牛田を通って、土手沿いにまっすぐ自転車道が走ってい
ます。
自宅から会社まで片道約16キロありますが、春とか秋にはたまに自転車で
往復しています。
毎日、熱中症のニュースが賑やかなこの頃、なぜ思い立って自転車で行こう
と考えたかといいますと、甲子園の選手や観客があの暑い中何時間も球場
にいるのを見たからです。
彼らに比べれば、なんだ16キロくらいたいしたことないや、サウナに入った
と思って頑張ろう、と思ったのです。
さて私の自転車ですが、パナソニック製のオフタイムという折りたたみ式の
電動アシスト自転車です。
電動アシストは坂道すいすい、向かい風へっちゃらで、年配者には
とてもお勧めです。
でもこの自転車18キロくらいあって重いのが少し不満です。
そのためか変速も7段付いています。
12キロくらいだったら変速ギアも不要だろうにと思いますが、まあまあ満足
しています。
それにしても自転車で走っていると、なんてすばらしい時間を過ごしているん
だろうと思います。
鳥の声やら虫の声、花、風、空、川・・・、遠くに旅行するよりいいな、とい
つも感じて走っています。
でも今日は日に焼けた腕がひりひりで少し痛い・・・
自転車.JPG

「金さん、銀さん」

こんにちは、社長の川嶋です。
先日の伊藤君の金魚のブログには笑っちゃいました。
クロちゃんが真っ赤なボディーに突如変身ということでしたが、こんなこ
ともありうるなと私は納得して読んでいました。
実は私も金魚を長年飼ってまして、私んちの場合は金魚が銀魚に変身して
しまったのです。
病気になった金魚を一週間、グリーン何とかという薬を溶いた水槽で飼っ
ていたら、お風呂上がり(?)にはきれいに銀色に変わっていたのです!
その後、銀色のまま自分は金魚だと思い込んで泳いでいます。
でもペットというのは実に飼うのが大変ですね。
たかが金魚といえども、水の管理や水槽の掃除、病気の治療、生まれた赤
ちゃん金魚の保育までだいぶ手間がかかります。
でも手間をかければ長生きします。
写真の大きい金魚の親は15年以上も生きました。
これからも2匹仲良く、金さん、銀さんのように長生きしてほしいと思っ
ています。
kingin.JPG

「からくりに気づく」

こんにちは、社長の川嶋です。
暑いですね!
この時期は冷房の効いた会社で仕事できるのが何より感謝です。
汗だくで商談に駆け回っている営業の皆には申し訳ないですが。
さて、我が社は今月決算です。
今年度は我が社にリーマンショックの大波が、まるで津波のように1年
遅れてやってきました。大変な1年でした。
でも波が少し引きつつあります。
おかげで壊れたものを新しいものに置き換えせざるを得なくなり、まも
なく始まる来年度は「新たな創造」の年度にできそうです。
さて、昼ご飯で回転寿司を食べていたら、隣のお客さんがこんな話を交
わしていました。
「テレビの民放はどこも横並びでつまらない、結局NHKだけ見てしま
うよね」「俺もそうだよ」
私もそうです。(BS.TBS 吉田類の「酒場放浪記」を除いては)
ここで私は、これには裏があるなと感づきました。
最近、民放には元NHKのアナウンサーが多数移籍しています。
たぶんスタッフもそうでないかと思います。
移籍した彼らが、実はNHKのために民放を馬鹿番組だらけにしているに
違いないと・・・
今日は頭が冴えてもう一つ発見しました。
「ゲゲゲの女房」で貧乏神はとても貧相な姿で現れます。
でも本当の貧乏神は金持ちの姿をしているということです。
当社も含め、全世界の多くの地道で善良な会社をあっという間に苦況に
陥れた貧乏神はどんな姿をしていたでしょうか。
それは、ニューヨーク(入欲)の摩天楼(バベルの塔)で、まばゆいスー
ツを身にまとったエリート集団、リーマンブラザースやその業界のリッ
チな人々だったのではないでしょうか?
ここでヘッジファンドなどの金融工学を生み出していったのは、ロスア
ラモスで核兵器の開発に携わっていた優秀な核物理学者たちだったそう
ですから、きっとこの世の地獄にも縁があったのでしょう。
でも優秀な貧乏神ですから、もう新たな貧乏ネタを開発しているに違い
ありません。
どうも暑さのせいで頭に幻覚が生じたようです。
8月から始まる来年度は、レッツ製品を共感の装置と捉え、お客様と
の関係を「会社人」から「社会人」「人間」としての次元に高めたお付
き合いにさせていただきたいと心から願っております。

「ゲゲゲの女房」

こんにちは、社長の川嶋です。
梅雨がまだあけませんね。
今日の昼食はウナギでも食べて元気を出そうかと思っています。
さて、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」で今朝はホロッときました。
やっと大手の週刊漫画雑誌に「テレビくん」が掲載されることにな
ったのです。
そして、次回からいよいよ「ゲゲゲの鬼太郎」がデビューしそうです。
これでやっと貧乏暮らしから抜け出せそうで、見ている私もホッ!と
します。
この頃私は小学校5−6年生くらいでした。
大手の週刊漫画雑誌は「少年マガジン」です。
ライバル誌は「少年サンデー」で両誌しのぎを削っていました。
私は少年マガジンびいきでしたが、毎週発売日が近づくと続きを早く
読みたくて気もそぞろでした。
実は、電気工事業を営んでいる私の同級生は、その「少年マガジン」
を創刊号から最終号まで持っています。
お宝探偵団に出したら、いったいいくらの値段が付くんでしょうか?
さて、水木しげるさんは太平洋戦争でラバウルやニューギニアに行か
され、そこで左腕を失いました。
その頃のことが2−3年前ドラマとして放送されたことがあります。
同じ頃、古川の小さな居酒屋で、出張で来ていた私くらいの年輩の
人からこんな話を聞きました。
その方のお父さんはエリート軍人で、ラバウルの守備隊長をしていた
そうですが、戦局がいよいよ怪しくなってきたとき、日本本土の大本
営に戻されたそうです。
総員玉砕を部下の大尉にゆだね、自分だけ生きて帰ったことにその後
も悩み続け、その大尉が身代わりになってくれたので自分は生きてい
る、という罪の意識を毎日のように息子に語っていたそうです。
ゲゲゲの女房でこんなセリフがありました。
うろおぼえですが、
「私は生きている人には(どんなに不幸でも)同情はせんのです。
生きたくても生きられなかった人がいるのですから」
私の父は北朝鮮からシベリア抑留という寒さの地獄
水木さんはニューギニアという炎暑の地獄
自分がもしそこにいたならと想像すると、どんな言葉もとても軽い
ものに感じてしまいます。

「知らないオッサン達」

社長の川嶋です。
私は地元にある出身高校の同期会幹事をしています。
なにせアナログ世代なので、携帯のメールでさえまだ苦手という連中
がごろごろしています。
一応、IT関係の仕事をしているということで、私がつたないホーム
ページを運営しています。(実は苦手です)
さて、今年は3年ぶりの同期会があります。
幹事会でプランを練ってますが、その様子も写真に撮り、ホームペー
ジにアップしています。
そうしたら案内の葉書にこんなメッセージを書いてよこした同級生が
いました。皆で大笑いです。
「ホームページ見ました。メッセージ欄には懐かしい名前がずらりと、
しかし写真集にはどこかの知らないオッサン達が・・・
たぶん自分もこうなっているのだと改めて認識、気づきをありがとう
蛍雪24会」
前回の同期会でもこんな会話がいっぱいありました。
老けてるなと思うやつほど「あいつずいぶん老けたよな・・」
そっと耳打ちするやつ「あの人何という先生だっけ?」
(あれは同級生だよ、こら!)
先日の打合せ風景を恥ずかしながらアップします。
ろうそくがあるのはここがお寺だからです。
右側で腕組みして笑っているのが私です。
私たちも57歳になりました。
還暦まであと3年です。
総人数のうち5%もの同級生がもう亡くなりました。
日々一生懸命、楽しく、自分のため、人のために生きていきたいもの
です。
DSCN5723.JPG

「蕎麦二題」

こんにちは、社長の川嶋です。
蕎麦と鮨を食べるときほど日本に生まれて良かったと感じることは
ありません。
私には蕎麦にまつわる思い出深い話がふたつあります。
その1「ふつうの蕎麦や」
伊豆の修善寺に行ったときの話です。
テレビでも放映されたとても有名な蕎麦やがあると聞きました。
やっと見つけたその店の名は「ぼ○○○○ん」
店の前には行列ができていましたが、せっかく探し当てたのだから
とその店に向かって歩いていましたら、その店の近くに変わった看
板を発見しました。
「ふつうの蕎麦や」という看板なのです。
ここも蕎麦やのようですが、意味もわからず「ぼ○○○○ん」へと
進み、待つこと一時間、やっと蕎麦にありつけました。
素朴な古民家で美味しい蕎麦でしたが、盛りが少しで、つまみを
1−2品、ビールも1本頼みました。
さて精算、何と・・・二人で7000円くらいなのです!
来た時と同じ道を帰りながら「ふつうの蕎麦や」の看板を見て、
女房と顔を見合わせ「なるほど」と納得しました。
その2「ダッタン蕎麦パン」
ダッタン蕎麦パンは、朝食に5年以上も食べています。
ダッタン蕎麦粉と小麦の全粒粉、クルミをリンゴジュースだけで
こねた黒いパンです。
甘くもないし、ふんわりもしていないので私以外は食べません。
少々値段が高いので、実は大助かりです
さて、このダッタン蕎麦粉は中国雲南四川省、海抜3000m、澄んだ
空気とキラキラ輝く太陽のもと、少数民族「彝族(イ族)」が栽培し
ているということです。
以前、中国の農薬問題があったとき心配で、ネットのお店へメール
したところ丁寧な返事が来ました。
「お問合せ、ありがとうございます。
また、弊社韃靼そばの大ファンとのこと・・・
大変光栄で、とても嬉しく思います。
ありがとうございます。
ご質問いただいた、韃靼蕎麦の残留農薬についてお答えします。
弊社が取り扱っている韃靼蕎麦は、中国雲南四川省の山奥、イ族と
いう少数民族が栽培しているものです。
この地域は、貧しい地域ですので、農薬はとても使えず、自然農耕
で育てられています。」
貧しいゆえに農薬は買えない、それが食の安全につながっている、
少々複雑な気持です。
経済成長著しい中国、その影響がダッタン蕎麦に及ばないことを願
うばかりです。
dattan.jpg

「山学校」

こんにちは、社長の川嶋です。
毎日雷雨の今日この頃です。
そんな梅雨空の合間をぬって、私は10年前から愛用の折り畳み
チャリにまたがり、昼ごはんを求めて市内をひたすら走り回って
います。
いろんな人が見ているもので、目撃談をよく聞かされます。
そんなある日のことです。
会社から1.5キロ離れたジャスコにある行きつけのそば屋をめ
ざして走っていたら、近くの公園で聞いたふうな声がしました。
案の定「山学校、捕らえてみれば孫だった」でした。
こちらでは山学校とは「さぼり」の意味です。
甘えん坊の我が孫は、3歳にもなるのに未だに母親に甘えて、
保育所に行かないと大暴れして休んでしまうことがあるのです。
その日はそのまま公園で孫と遊び、ジャスコで娘と孫息子、
生まれたばかりの孫娘と4人でミスタードーナッツを食べたとい
う一家団欒の日となりました。
「じいさんも孫と一緒に山学校」となった午後でした。
山学校.jpg

「琥珀の時」

こんにちは、社長の川嶋です。
テレビ番組でシナモンの効能が放送されました。
シナモン、つまり桂皮の成分が毛細血管の減少を防ぎ、
皮膚のシミや抜け毛に特効があるとのことでした。
さっそく妻がシナモンスティックなるものをスーパーか
ら買ってきました。
カレーライスに入れて食べましたが、どんなものかと、
そのまま白湯に入れて飲んでみたら、これがgood!
1時間ぐらい入れておくと、琥珀色になってきます。、
スパイシーな香り、ほのかな甘さ、とろりとした喉ごし、
まるでウィスキーの水割りのような味わいです。
毎朝コップに1本入れておき寝る前に飲んでいます。
気持がほっとします。
毎晩たった10円で、贅沢な「琥珀の時」を楽しんでい
るわけです。
kohaku.JPG

「一病息災」

社長の川嶋です。
4月の半ばから電車通勤にしました。
というのは毎日一万歩歩くためです。
私は幼少の頃、股関節脱臼で1年間ギプスをしていました。
この障害を持つほとんどの人が50歳を過ぎる頃から歩行が
大変になってきます。
歌手の前川清さんも同じで、彼は昨年人工股関節にする手術
をしました。
私も実は、昨年の今頃は杖をついていました。
でも恥ずかしくて何とかしたいと思っていましたが、切った
り張ったりは大嫌いなので手術は論外です。
そこで、昨年秋から一念発起、Wii、プール、自転車など
あれこれで必死のリハビリを行い、ついに3ヶ月後1キロく
らい歩けるようになりました。
そして今は、朝6時起きして電車通勤をしています。
毎日必死にびっこたんこに歩くので汗だくですが、おかげで
腹はペチャンとなりました。
脚が悪いのは小さい頃からコンプレックスでしたが、今では
この脚のおかげで健康を保てるんだと心から感謝できるよう
になりました。
まさに一病息災です。
時々、到着駅の古川駅でコーヒーを飲んでから、最後のひと
ふんばり、会社までの1.2キロを歩き始めます。
そのお店から撮った古川駅前です。
furukawaeki.JPG

「私の著書」

こんにちは、社長の川嶋です。
私は作家ではありませんが、実は1冊著書があります。
そして2冊目を今執筆中でもあります。
先日亡くなられた井上ひさしさん以上の遅筆で、一冊書くのに
5年もかかりました。
そうです。何を隠そう、その著書とは「5年日記」なのです。
写真の右側にあるのが2003年から2007年まで書き上げ
た最初の5年日記です。
左側に開いてあるのが2冊目で、今3段目を執筆中です。
表紙に「自分へのプレゼントに」と書いてありました。
本当にそうだなーと思います。
読者は自分一人だけなのですから(たぶん)
それにしても驚きなのは、毎年同じ日に同じものを食べたり、
同じようなことをしているということです。
実に不思議なことです。
5年日記くらい読み返しておもしろい本はありません。
nikki.JPG

「永島慎二の自画像」

社長の川嶋です。
レッツ製品やパンフなどのデザインをしてくれている
デザインスタジオ「Knox」の事務所に先日行って来ました。
代表の中嶋社長は私の高校時代の同級生です。
彼は子供の頃から絵が好きで、中学生の頃は「びっきの会」という
漫画グループをつくり、NHKで特集されたこともあります。
彼は永島慎二という漫画家が大好きで、学生の頃、東京で彼の家を
訪ね、そこにあった彼の自画像をむりやり譲ってもらいました。
しかもありったけの金ではありましたが、たった1万円で。
それがあまりきれいではない(失礼・・)事務所の入り口に無造作
に飾ってありました。
大きさはサムホールサイズほど(B5くらい)
ルオーのような、ピカソのような、松本竣介のような、実に青春の
夢と不安が入り混じった繊細な味わい深い作品です。
私はつい、少し曲がっていた額の位置を直していました。
nagasima.JPG

「親父の背中」

社長をしております川嶋信雄です。
皆様にはいつもお世話になっております。
今日は、今年86歳になる私の親父を紹介します。
毎年5月の連休には父と一緒に金華山へ行くのが恒例です。
今年でもう25年目になります。
金華山からの帰り道、
コバルトラインから太平洋を眺める親父の後ろ姿を撮りました。
oyazi.JPG
何とも哀愁を感じさせる背中です。
長い人生のあれこれを思い出していたのかもしれません。
親父の青春時代は戦争と4年間のシベリア抑留でした。
その後結核で入院したり、4回もガンの手術をしましたが、
感心するのはそのプラス思考です。
ガンを告知されても「見つけてもらって本当に良かった、
お袋があの世で守ってくれているおかげだ」と心から言うのです。
だから「絶対に治ってみせる」という執念は、
人一倍強いものがありました。
おかげで、今でも足腰は丈夫、歯も全部あって
魚は骨ごと食べたりします。
しかも元気にほがらかに一人暮らしで頑張ってくれています。
私は、お袋(亡くなって10年)似でありますが、
「プラス思考だけは親父ゆずりだぜ」と言いたいものだなーと
つくづく思います。