東京からの帰還

こんにちは、大平です。
この度の震災でお亡くなりになりました方々のご冥福をお祈りいたします。
また、特に沿岸部の方々が一刻も早く平穏な日常を取り戻せることを強く願います。
地震当日の2日前、振替休日だったので妻子と共に石巻に買い物に行っていました。
その日も少し大きな地震がありましたが、気にせず石巻に向かいました。その日に津波が来ていたら、と考えるとぞっとします。
当日私は、上野に出張に行っていました。
東京もかなり揺れました。まさかそのときは東北震源だとは思いもしませんでした。
それを知ったとき、血の気が引きました。
幸いにも、地震直後だけ妻とメールができ、無事でいることだけは確認できました。
その日は上野駅近くの避難所で一晩過ごしました。
翌日も新幹線は動かず。埼玉に住む姉の家へ行き、一泊しました。
その翌日である日曜日に、山形の庄内空港行の飛行機をなんとか確保できました。
庄内空港からレンタカーで大崎市まで帰ろうと思ったのですが、被災地域はダメと言われ断念。
しょうがないので山形市までレンタカーで移動することに。
ただでさえ食料が少ないだろうに、自分がいって足を引っ張っても仕方ない、と思い、
庄内空港近くのイオンで、リュックを買い、缶詰などの食料品と、子供用の離乳食、オムツを買いました。
幸いにも、まだ庄内空港周辺は食料はまだたくさん売っていました。
そして山形市のホテルで一泊。
翌日、バスで仙台へ、仙台からまたバスで大崎市まで来ました。
そこからは自家用車で実家へ向かい、晴れて家族と対面することが出来ました!
かなり端折りましたが、こんな感じで帰ってきました。
自分でもびっくりするくらい、順調に帰ってこれたと感じています。
自分1人では到底無理だったでしょう。
上野駅までの徒歩での行き方を教えてくれたユーザー様、一晩泊めてくれた姉、ネット上の顔すらわからない人、仙台から古川までのバス情報を教えてくれた山崎専務(最後の難関だったので一番嬉しい情報でした!)いろいろな人の助けを借り、また私も知っている情報をできるだけ広める様につとめました。
人の温かみを本当に感じることが出来ました。
復興中はもちろんのこと、完全に復興したときにもこの温かみだけは人々に残っていて欲しいと思います。

1 Comment

  1. 東京から帰れたのかしら?っとずーっと気になってました。
    なんとか、いろいろ乗り継いで帰られたようでよかったです。
    メールだけのやりとりで心配だったことも多かったことでしょう。
    とりあえず、おかえりなさい(^^)

コメント

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