「ゲゲゲの女房」

こんにちは、社長の川嶋です。
梅雨がまだあけませんね。
今日の昼食はウナギでも食べて元気を出そうかと思っています。
さて、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」で今朝はホロッときました。
やっと大手の週刊漫画雑誌に「テレビくん」が掲載されることにな
ったのです。
そして、次回からいよいよ「ゲゲゲの鬼太郎」がデビューしそうです。
これでやっと貧乏暮らしから抜け出せそうで、見ている私もホッ!と
します。
この頃私は小学校5−6年生くらいでした。
大手の週刊漫画雑誌は「少年マガジン」です。
ライバル誌は「少年サンデー」で両誌しのぎを削っていました。
私は少年マガジンびいきでしたが、毎週発売日が近づくと続きを早く
読みたくて気もそぞろでした。
実は、電気工事業を営んでいる私の同級生は、その「少年マガジン」
を創刊号から最終号まで持っています。
お宝探偵団に出したら、いったいいくらの値段が付くんでしょうか?
さて、水木しげるさんは太平洋戦争でラバウルやニューギニアに行か
され、そこで左腕を失いました。
その頃のことが2−3年前ドラマとして放送されたことがあります。
同じ頃、古川の小さな居酒屋で、出張で来ていた私くらいの年輩の
人からこんな話を聞きました。
その方のお父さんはエリート軍人で、ラバウルの守備隊長をしていた
そうですが、戦局がいよいよ怪しくなってきたとき、日本本土の大本
営に戻されたそうです。
総員玉砕を部下の大尉にゆだね、自分だけ生きて帰ったことにその後
も悩み続け、その大尉が身代わりになってくれたので自分は生きてい
る、という罪の意識を毎日のように息子に語っていたそうです。
ゲゲゲの女房でこんなセリフがありました。
うろおぼえですが、
「私は生きている人には(どんなに不幸でも)同情はせんのです。
生きたくても生きられなかった人がいるのですから」
私の父は北朝鮮からシベリア抑留という寒さの地獄
水木さんはニューギニアという炎暑の地獄
自分がもしそこにいたならと想像すると、どんな言葉もとても軽い
ものに感じてしまいます。

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